江戸時代、将軍と主従関係を結び、1万石以上の領地を与えられた武士を大名といい、
将軍家との関係によって、分けられました。
親藩は、徳川氏の一族の大名です。

とくに、尾張(愛知県)・紀伊(和歌山県)・水戸(茨城県)の徳川家は、
「御三家」と呼ばれ重んじられていました。
また、関ヶ原の戦い以前から徳川氏に従っていた大名を、譜代大名といいます。
関東から近畿の重要な地に置かれ、幕府の重要な役職につきました。
関ヶ原の戦いののちに徳川氏に従った大名を、外様大名といいます。
江戸から遠い地に置かれ、幕府の要職にはほとんどつけませんでした。

ところで、江戸幕府で、朝廷と西日本の大名の監視にあたった役職は?
京都所司代です。
鎌倉時代では、朝廷の監視は、六波羅探題でした。
間違えないよう、注意です。