後鳥羽上皇、六波羅探題、後醍醐天皇、建武の新政・・・
なんだかごちゃごちゃになっていませんか?
まず、源頼朝が鎌倉幕府をひらきましたが、
なぜ鎌倉かというと、三方を山にかこまれ、、一方は海で、守りやすかったためです。
そして、
京都で院政を行っていた、後鳥羽上皇が
朝廷の勢力を回復させようと
1221年 承久の乱をおこしました。

勝ったのは、幕府です。
後鳥羽上皇は、隠岐に流されましたが、
幕府は京都を監視するため、六波羅探題をおきました。
その後、今度は鎌倉幕府をたおそうとした朝廷側は、後醍醐天皇です。
1333年、足利尊氏などを味方につけ、鎌倉幕府をたおし、
後醍醐天皇は、建武の新政を始めます。
またそのあと、建武の新政は2年ほどでくずれ、
後醍醐天皇は吉野にのがれ(南朝)
足利尊氏は、建武の新政に不満を持つ武士らとともに、京都に新たに天皇をたてました(北朝)
南北朝時代です。

かんたんにまとめてみました。
地図で位置を確認していくと、覚えやすいです。